【実録】うつ病と診断されるまでに起きていた“心と体のサイン”

「何がつらいのか、自分でもよくわからない」
そんな日々が、いつの間にか“当たり前”になっていました。

朝起きられない。人と話すと頭が真っ白になる。
好きだったことにも心が動かない――
でも「うつ病です」と診断された時、正直ピンと来なかったんです。

この記事では、私がうつ病と診断されるまでに起きていた“心と体の変化”を、実際の体験をもとに書きました。
もしかしたら、似たようなサインを感じている方がいるかもしれません。
「気のせいじゃなかった」と、気づくきっかけになれば嬉しいです。

小さな違和感は、日常にひっそり紛れていた

フルタイムの会社に行って4時間バイトする毎日
「最近ちょっと疲れやすいな」
「なんとなく、気分が乗らないだけだろう」

最初は、そんなふうに思っていました。

朝、目が覚めても体が鉛のように重くて、布団から起き上がるのに30分以上かかる日が続いていました。会社に行くのがつらくて、でも行かなきゃと思って、なんとか化粧だけして出勤する。けれど、頭がぼーっとして、メールを打つのに普段の3倍時間がかかる。

誰かと話すのが怖くなっていって、会話の内容を覚えていられないことも増えてきました。笑っているつもりでも、口角が上がっていない自分にふと気づく瞬間が、何度もあった。

それでも、「頑張らないと借金が返せない」「ただ疲れてるだけ」「みんなも大変だし」と自分に言い聞かせて、がんばり続けてしまったんです。

気づけば、心も体も動けなくなっていた

いつからだったか、「なんでもない日常」がこなせなくなっていきました。

スーパーで買い物をするのに1時間かかる。
洗濯機を回すだけで一苦労。
スマホの通知が怖くて開けない。
ごはんを作る気力がない。お風呂にも入れない。

それなのに、まわりには「ちゃんとしている自分」でいなきゃと思って、気を張っていました。
仕事も、約束も、どうにかやり過ごしていたけど、家に帰ると電池が切れたみたいに崩れ落ちる。何度も泣いたり、なにも感じなくなったりを繰り返していました。

体は重く、頭はモヤがかかったよう。けれどそれを「病気」と思えなかった。
「怠けているだけじゃないか」
「私よりもっとつらい人がいるのに」

そんなふうに自分を責め続けて、気づいたときには、心も体もボロボロになっていたのです。

ずっと見過ごしていた「心の悲鳴」──睡眠障害

実は、心療内科にかかる前から、私は約2年間「不眠」で内科に通っていました。

夜になると、どんなに疲れていても眠れない。
眠れても、2時間ごとに目が覚める。
朝までに何度も起きて、ようやく眠れたと思ったら、もう起きる時間。
そんな日々が、毎日のように続いていたんです。

内科では「ストレス性の不眠」と診断され、眠剤を処方されていました。
確かに、薬を飲めば眠れる日もありました。
でも、根本的にはなにも解決していない気がして――
それでも私は、心療内科を受診する勇気が持てなかった。

「大げさかもしれない」
「うつって診断されたら、仕事やバイトに影響が出るかも」
そんな不安がずっと頭を占めていたから。

限界は、ある日突然やってきました。
職場で上司に声をかけられただけで、全身が震えて涙が止まらなくなった。
自分でも制御できない感情に呑まれて、ただ「助けて」と心の中で叫んでいました。

数日後、いつものように内科を受診したときのこと。
先生が静かにこう言いました。

「これは、心のほうのケアが必要かもしれませんね」
その一言で、私はようやく“心療内科”という言葉を受け入れることができました。

紹介状を手にして、人生で初めて心療内科のドアを開けた。
やっと、ずっと塞いでいた自分の“心”と向き合うことができたのです。

診断の瞬間──“うつ病”

初めて心療内科を訪れた日、私は何もかもが怖くて、診察室の前で何度も深呼吸をしていました。
この扉の向こうで、自分の「何か」が決定的に変わってしまうような気がして。

名前を呼ばれて入った診察室。
静かな声の先生に、「今日はどうされましたか?」と聞かれた瞬間、私はもう堰を切ったように話し出していました。

眠れないこと。
涙が止まらないこと。
些細なことで自分を責めてしまうこと。
朝、布団から出られないこと。
でも、どうしてこうなったのか、自分でも分からないこと――。

先生はメモをとりながら、うんうんと頷いて話を聞いてくれました。
そして、静かに言われた言葉が、今でも忘れられません。

「これは、うつ病の状態です。休養が必要です。」

その言葉を聞いた瞬間、不思議なくらい「ほっとした」自分がいました。
ようやく、“名前”がついたことに救われた気がしたのです。
ずっと、自分がただの怠け者なんじゃないかと思っていた。
でも違った。これは病気だったんだ――。

一方で、診断名を受け入れるのは怖くもありました。
「私はうつ病です」なんて、どうやって家族に説明すればいいんだろう?
仕事は?借金は?これからどうなるの?
頭の中は不安と疑問だらけで、涙が止まらなくなりました。

だけど、先生の最後のひとことが、少しだけ希望をくれました。

「まずはゆっくり休んで、自分を大事にしてください。焦らなくて大丈夫ですよ。」

それまで「自分を大事にする」なんて考えたこともなかった私にとって、その言葉はまるで許しのように響いたのです。

休職、そして“何もしない”ことに罪悪感を抱えながら

うつ病と診断されたその日、先生から「まずはしっかり休みましょう」と言われて、私は会社に休職の連絡を入れました。
それは、人生で初めて「自分のために立ち止まる」という選択でした。

でも、休んだ途端、思いもよらない気持ちが押し寄せてきました。

「何もしていない自分には、価値がないんじゃないか」
「まわりは働いているのに、私は寝てるだけでいいの?」
「ちゃんと回復できなかったら、どうしよう」

身体は確かに動かないのに、頭の中ではずっと“責める声”が響いていました。
朝は起き上がれず、昼過ぎにやっと布団から出ても、コンビニに行くのが精一杯。
シャワーを浴びる気力もなくて2週間以上風呂キャン、髪はずっとぼさぼさ、手の指から足の臭いがする、部屋も散らかり放題。

それでもSNSを開けば、誰かが頑張っている姿が目に入る。
「#おうち時間」「#朝活」「#自分磨き」――。
そういう言葉を見ただけで、涙が出てきてスマホを閉じました。

何もしないのが苦しくて、でも、何もできない。

そんな日々の中で、ようやく気づいたことがあります。

それは、「生きてるだけで、もう十分がんばってる」ということ。
布団から出られなかった日でも、食べられなかった日でも、
呼吸をして、今日をなんとか過ごした自分は、それだけでえらい。

誰かに言われたわけじゃなく、自分でそう思えるようになるまでには、時間がかかりました。
でもその実感が、少しずつ“回復”という道のりを照らし始めてくれたように思います。

“元に戻る”んじゃない、“新しい自分で生きる”という選択

休職してから数ヶ月、薬を服用したら少しずつ眠れるようになって、
ほんの少しだけ、頭の中の霧が晴れてきました。

でも、回復の道は「まっすぐ上向き」ではありませんでした。
調子がいい日もあれば、何もできずに寝て終わる日もある。
「あれ、また戻っちゃったかも」と落ち込むこともあったし、
思ったように働けないことを受け入れるのにも時間がかかりました。

ある日ふと、前みたいに働いて、前みたいに動けるようになるのを目標にしていた自分に気づきました。
でも、ある瞬間から、それが少しずつ違う気がしてきたんです。

私は「前の自分」には戻れない。
でも、それって悪いことじゃないかもしれない。

うつになったことで、自分の心のクセにも、生きづらさの根っこにも気づけた。
「ちゃんとしなきゃ」「迷惑かけちゃいけない」って、
ずっと無意識に思い込んでいた自分に、ようやく声をかけてあげられるようになった。

「もう無理しなくていいよ」「少し休もう」「今日は頑張ったね」って。

私は“もと通りの私”に戻るんじゃなく、
“この経験をした自分”として、これからを生きていこう。

それは、決してマイナスじゃなくて、
むしろ「今まで知らなかった自分」を知るチャンスだったのかもしれません。


これが、私がうつ病と診断されるまでの記録です。
もしかしたら、同じように「理由のわからないつらさ」を抱えている誰かに、届いてほしくて。
「がんばれない日があってもいい」「あなたのせいじゃないよ」って、伝えたくて。

私もまだ回復の途中です。
でも、少しずつ歩けるようになってきた今だから、
過去の自分に、そして今つらさを抱えているあなたに、
この記録を残しておきたいと思いました。

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